【京都市右京区】インド 中国 日本 と渡ったお釈迦様の生身の姿を写した像を安置! 光源氏の別荘? 

 清凉寺は、浄土宗の寺院。山号を五台山と称します。別名・嵯峨釈迦堂とも。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となりました。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)は弟子の盛算(じょうさん)です。中世以降は「融通念仏の道場」としても知られています。

嵯峨釈迦堂
 もともとここには、嵯峨天皇の皇子・左大臣源融(実はこの人、源氏物語の光源氏のモデルとの説もあるのですが)の別荘・栖霞観(せいかかん)があったといいます。十世紀に入って、宋に渡り、五台山(一名、清凉山)を巡礼した奝然(ちょうねん)という東大寺出身の僧がいました。

嵯峨釈迦堂
 奝然は、宋へ渡航中、台州の開元寺で、古代インドの優填王(うてんおう)が釈迦の在世中に37歳の生身の姿を栴檀(せんだん)の木で造らせたという由緒を持つ霊像を模刻した釈迦如来像を謹刻させました。釈迦像は、実は模刻像と霊像とが入れ替わったとする縁起を持つため「インド – 中国 – 日本」と伝来したことから「三国伝来の釈迦像」と呼ばれて今日に至っています(現在は霊宝館に安置)。奝然は、永延元年(987年)日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓にこの三国伝来の釈迦像を安置する寺を建立したのです。

嵯峨釈迦堂
 この釈迦像の模造は、奈良・西大寺本尊像をはじめ、日本各地に100体近くあることが知られ「清凉寺式釈迦像」と呼ばれています。像の胎内からは、奝然の遺品、仏教版画などが発見され、像とともに国宝に指定されています。納入品のうち「五臓六腑」(絹製の内臓の模型)は、医学史の資料としても注目されるのだとか。 

嵯峨釈迦堂
 「五台山」の額を潜り抜け仁王門を入ると、本堂(釈迦堂)があり、本堂の東側には、旧棲霞寺本尊の阿弥陀三尊像を安置していた阿弥陀堂があり、通例の阿弥陀堂とは逆に、本尊が西を向く形で配置されているのも特徴的です。また、本堂西側には南向きの薬師寺があります。多宝塔、聖徳太子殿、春には京都三大念仏の一つが催される狂言堂、一切経蔵(輪蔵)などがあります。
嵯峨釈迦堂
 この清凉寺を入り口として、奥嵯峨には一つ一つ由緒ある寺社仏閣がひしめき合っています。じっくりと歴史ロマンを感じながらゆっくりと散策してみてください!

2022/01/25 06:00 2022/01/25 06:00
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