【京都市中京区】日本で唯一の恵方社がある神泉苑は祇園祭発祥の地です。巳年に因む2つの弁財天もおられます!

京の都において家康が二条城構築を決める際に重要視したのが、外濠・内掘の水でした。眼をつけたのが平安京の大内裏に隣接する禁苑(天皇のための庭園)である「神泉苑」。桓武天皇により造営され、かつては、平安京の南東すぐに位置し、 南北4町東西2町の規模を有する苑池でした。その聖地とも言える神泉苑の北側を家康が二条城に取り組んでしまったのですね。町屋四、五千軒が立ち退いたと言われます。

神泉苑

さて、節分も近づいた2025年1月28日、日本で唯一といわれる「恵方社」にお参りするために、その「神泉苑」を訪れました。恵方とは、その年の福神様「歳徳神」が訪れる縁起のいい方角のこと。2025年の恵方は西南西やや西。御池通沿いから神門を入った所のすぐ右側に恵方社という小さな祠があります。総ひのき造で、屋根の銅板も伝統的な工法で加工した、経年変化と共に 緑青(ろくしょう)を帯び、趣のある社。実はこの祠の向きがその年の恵方を表しているのです。

神泉苑

さらに、2025年は巳年。さらに60年に一度の乙巳ですね。歴代天皇が宴遊し、弘法大師空海が善女龍王様をよびよせ祈祷をし、静御前、小野小町による雨乞いの舞が行われたと伝わる「神泉苑」には、巳年に因む二柱(仏とも)の弁天さんがおられます。江戸時代より境内の池畔にまつられる水神の増運弁財天と神泉苑本堂にて秘仏として祀られる宇賀弁財天です。

神泉苑

また、祇園祭は、平安時代前期の869(貞観11)年に行なわれた「御霊会(ごりょうえ)」が始まりといわれています。御霊会とは、亡くなった人の魂を鎮め、災厄を払う儀式のこと。当時の平安京の国の数である66本の鉾をこの「神泉苑」に立て、祇園社(現在の八坂神社)から天皇の庭としての神泉苑に神輿を送り、御霊会を行ったのが祇園祭の発祥とされ、その後、氏子地域が鉾を持ち、街中を巡回するようになったのが、現在行われている山鉾巡行の原型と伝承されています。

神泉苑

歴史ロマンあふれる美しい池のほとりに訪れてみてください!

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