【京都市西京区】御霊神社が一面新緑に覆われていました。御祭神の伊予親王とは? 桂川周辺に大八木姓が多いのは何故?

 阪急上桂駅で降り立ち、2024年5月8日に御霊神社を訪ねました。小さい境内ですが、この時期は新緑に包み込まれるような光景が広がっていて見ごたえがあります。

上桂御霊神社

 さて、京都にはあちこちに御霊神社が存在します。奈良時代から平安時代へ、当時の人々は疫病や天変地異などが起こると、時の為政者との政争に敗れて非業の死を遂げた人たちの怨霊が禍をもたらすとの信仰があったからだといわれます。

上桂御霊神社

 祭神の伊予親王は、桓武天皇の第3皇子で、平城天皇の異母弟となります。桓武天皇が没した翌年、大同2年(807年)に突然謀反の疑いをかけられ、奈良明日香村に幽閉の後、母ともども非業の死を遂げてしまいます。

上桂御霊神社

 実はこれにはNHK大河ドラマでも今話題の藤原一族の暗躍があったといわれます。この伊予親王の変は、後に藤原式家の仲成と薬子の兄妹が覇を競う藤原南家の追い落としのために関与したとの見方もあります。この変で南家が没落し、3年後の薬子の変で式家も勢力を失っていくことになります。以後、藤原北家が台頭し、この系統による「摂関政治」が後の道長・頼通父子の時代に全盛を極めることになるのです。

上桂御霊神社

 さて、上桂から松尾谷にかけてなぜか、大八木姓をよく見かけます。町内会の地図でも良く分かります。大八木一族は、近代に公共施設や道路整備などにも多額の寄進をしたこの辺りの大地主だそうです。ルーツは神功皇后につかえたとされ、この辺りに古くから住む、女系相続を明治期まで続けた巫女であり、産婆でもあった桂女の一族にあるようです。柳田国男の「鵜飼と桂女」には「十軒の桂女が、東京奠都のときまで続いていた」と記されています。その桂女十家のほとんどが大八木姓でした。

上桂御霊神社

 みなさん、歴史ロマンあふれる桂川周辺へお立ち寄りください!

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