【京都市右京区】一足早く吉高由里子主演大河の聖地巡礼 涼を求めて源氏物語ゆかりの嵯峨野周辺を歩く!

 連日の猛暑日が続いていますね。京都では2023年8月2日も「熱中症警戒アラート」が発令されています。そんな中でも、嵐山、奥嵯峨周辺では涼を求めて竹林の径などに訪れる人たちが大勢いました。嵐山のメインストリートを北へ突き当たり、清凉寺から大覚寺へと歩いてみました。

光る君へ嵯峨野

 清凉寺は、浄土宗の寺院。山号を五台山と称します。別名・嵯峨釈迦堂とも。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となりました。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)は弟子の盛算(じょうさん)です。奝然は、永延元年(987年)宋から日本に帰国後、京都の愛宕山を中国の五台山に見立て、愛宕山麓に三国伝来の釈迦像を安置する寺を建立したのです。

光る君へ嵯峨野

 そして、もともとここには、嵯峨天皇の皇子の左大臣源融、実はこの人が源氏物語の光源氏のモデルとも言われていて、その別荘である栖霞観(せいかかん)があったといいます。

光る君へ嵯峨野

 「絵合」の巻の巻末に、「山里ののどかなるを占めて、御堂を造らせたまひ・・・」、松風の巻に「造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、劣らずおもしろき寺なり」とあることから、嵐山メインストリートの突き当たりにある嵯峨釈迦堂(清凉寺)ではないかと言われる所以です。

光る君へ嵯峨野

 大覚寺は、平安初期から嵯峨天皇の離宮として雅な姿を現し、嵯峨上皇崩御後に、その皇女の正子内親王(淳和天皇皇后)により大覚寺に改められたといいます。源氏物語では、少女巻や若菜上巻でこの嵯峨院や大沢池の秋の美しさが取り上げられています。

光る君へ嵯峨野

 「御堂のさま、おもしろくいはむかたなく、 紅葉の蔭分けゆく野辺のほどよりはじめて、見物なるに、 かたへは、きほひ集りたまふなるべ」(若菜上巻)と。光源氏が紫の上亡き後の晩年をこの嵯峨院で出家生活を送ったと書かれています。

光る君へ嵯峨野

 また松風巻に描かれた「滝殿の心ばへ」の滝殿とは、大沢池の北に遺構が残る名古曽滝(なこそのたき)のことだと言われています。かつては平安貴族が舟遊びをしたという大沢の池は、嵯峨天皇の離宮として営まれた嵯峨院の庭池で中国の洞庭湖を模して作られたといわれ、現在でも龍頭鷁首を付けた屋形船を浮かべ観月の夕べが行われています。
 みなさん、一足先に2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」の聖地巡礼めぐりはいかがですか!

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