【京都市右京区】一足早く聖地巡礼 涼を求めて源氏物語ゆかりの嵐山大堰川周辺を歩く

 連日猛暑日が続いていますね。京都でも2023年7月29日には「熱中症警戒アラート」が発令され、嵐山、奥嵯峨周辺では涼を求めて竹林の径などに訪れる人たちが大勢いました。さて、源氏物語でも書かれていたように、平安時代の貴族たちは、この地域でこぞって歌を詠み、雅な風情を楽しみました。

源氏物語と嵐山

 現在、渡月橋のかかる大堰川(おおいがわ)の上流でも遊興に耽っていたといいます。渡月橋は鎌倉時代の満月の晩に舟遊びをした亀山天皇が、曇りのない夜空に月がさながら橋を渡るようなさまを見て「くまなき月の渡るに似る」と詠んだことにその名を由来すると言われています。

源氏物語と嵐山

 平安時代の渡月橋は、現在よりもう少し上流に位置していましたが、応仁の乱での焼失や水害などを経て、現在の位置となったと言われています。なお、現在の渡月橋は安土桃山から江戸初期の豪商である角倉了以によって建設されました。

源氏物語と嵐山

 そして、この辺りは源氏物語の文中に数多く出てくる地域です。源氏物語「松風」(まつかぜ)第18帖には、31歳の光源氏が、明石時代の愛人で源氏の一人娘(のちの明石の中宮)を産んだことにより、紫の上、花散里に次ぐ地位を得たとされる22歳の明石の君を、この辺りにあったとされる大堰山荘に訪ねる様子などが描かれています。

よーじやおさんぽシェイク

 また光源氏のモデルとされる源融(みなもと・とおる)の山荘「棲霞観」を立てたとされる場所は、「絵合」の巻の巻末に、「山里ののどかなるを占めて、御堂を造らせたまひ・・・」、松風の巻に「造らせたまふ御堂は、大覚寺の南にあたりて、滝殿の心ばへなど、劣らずおもしろき寺なり」とあることから、嵐山メインストリートの突き当たりにある嵯峨釈迦堂(清凉寺)ではないかと言われています。

源氏物語と嵐山

 2024年NHK大河ドラマは吉高由里子主演「光る君へ」です。みなさん、一足先に聖地巡礼めぐりはいかがですか!

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