【京都市西京区】地元川島が戦国最大の謎に関与? 明智光秀を動かした“四国の利権”と革嶋家の痕跡を追う!  

阪急桂駅の近く、川島地域に広がる閑静な住宅街。この一帯は、戦国時代に明智光秀の謀反、本能寺の変の裏側に深く関わった一族の拠点でした。昨今の研究から、この事変の動機は、地元の有力武士をも巻き込んだ「四国利権」が大きく関わっていたことが見えてきています。2025年10月8日に周辺を歩いてみました。

革嶋春日神社

山城国葛野郡革嶋南荘(現在の西京区川島)を本拠とした革嶋家は、地域の運河(今井溝など)を抑え、桂川・淀川水運の要衝で財を成した有力な国人領主です 。彼らは、かつて近衛家領の下司職を務め、後に幕府御家人にまで飛躍した名家です 。彼らの経済的な基盤は、水運による四国方面との交易に深く依存していたと考えられます。

革嶋春日神社

革嶋家は、信長勢力下の細川藤孝の与力として活動していましたが、藤孝が丹後に移封すると、光秀に臣従しました 。光秀は、家老の斎藤利三を介して四国の雄・長宗我部元親と縁戚関係にあり、信長と元親の外交取次役でした。ところが、信長が元親との約束を破り、四国征伐を命じます。これは光秀個人の面目を潰しただけでなく、四国交易に頼る革嶋家ら西岡衆の経済基盤をも危機に晒すことを意味しました。

革嶋春日神社

革嶋家の居館は、堀と土塁に囲まれた壮大な環濠集落を形成するほどでしたが 、当主の革嶋一宣は、本能寺の変の際に光秀軍の先陣・一番隊長を務めたと伝えられています。本能寺の変後、革嶋家は光秀との関係を疑われ、苦難の道を歩みます。しかし、府立資料館には、細川藤孝や光秀との書簡を含む「革嶋家文書」が数千点も残されており、当時の緊迫した情勢を今に伝えています 。

革嶋春日神社

そんな革嶋一族が代々崇敬してきた氏神が、現在も川島の地に静かに残されています。地元に眠る歴史の痕跡を訪ねてみてはいかがでしょうか。2026年のNHK大河ドラマは「豊臣兄弟」です。本能寺の変はどのように描かれるのかも楽しみです。

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