【京都市西京区】京の西の守護神「松尾大社」の境内には亀がいっぱい 奈良時代より続く伝承があったから
京都の西の守護神とされる「松尾大社」は、秦氏によって社殿が建立された飛鳥時代の頃からさらに太古の昔より、この地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の頂上に近い大杉谷の上部の磐座(いわくら)に御祭神の「大山咋神(おおやまくいのかみ)」を祀って、生活の守護神として尊崇したのが始まりと伝承される古社です。
紀元祭が行われていた2024年2月11日に同社を訪れてみました。御本殿正面門の左右両側には、「幸運の双鯉(そうり)」と「幸運の撫で亀」が氏子らから奉納されています。特に境内には、良質の地下水が湧き出て、ここの水を酒に加えると腐らないとされ、古代より酒造りに利用され神々に供えたという「亀の井」始め、手水鉢などにも亀の像がいっぱいです。
何故、松尾大神の使いは亀とされるのでしょうか? かつての日本は、大陸からの思想に大きく影響を受けていました。天は時の為政者たちの政治が良ければその褒美に祥瑞をもたらし、悪ければ災害や日食月食などの異変をもたらして政治に対して警告をすると信じられていたといいます。
祥瑞には、霊亀、鳳凰、三足烏、赤雀、木連理、甘露、慶雲など珍しい気象現象や動植物があります。「続日本紀」には、元明天皇の714(和銅7)年8月、「首に三台(三つの星)を戴き、背に七星を負い。前足に離の卦を顕わし、後足に一支あり、尾に緑毛・金色毛の雑った長さ八寸の亀が現れ、朝廷に奉納された」とあります。この亀が松尾の谷から現れたと伝承されています。
このような嘉瑞を元明天皇は大いに喜び、天皇の位を天武天皇の孫にあたる氷高皇女に譲位しました。これが元正天皇です。そして和銅8年を霊亀元年としたのです。元号を変えてしまえるほど、当時の人たちにとって祥瑞の出現は大きな影響力があったようですね!
歴史ロマンあふれる松尾周辺へぜひお越しになってみてください!