【京都市東山区】新選組結成160年に維新の道を歩く 八坂神社や円山公園、近藤勇行きつけの左阿彌から御陵衛士屯所跡月真院へ
江戸幕府14代将軍徳川家茂が孝明天皇の攘夷祈願に随行するため上洛することになり、それをきっかけに壬生浪士隊が結成され、後に新選組結成に至ったとされる文久3年(1863年)から2023年は160年目となります。8月19日の早朝、高台寺周辺にある幕末維新にゆかりの場所を歩いてみました。
まずは東山通り沿いにそびえたつ朱塗りの八坂神社西門。新選組は会津藩に対して「七番組頭谷三十郎儀、祇園石段下に於て頓死相遂げ候」と報告しています。死因については、斎藤一による暗殺説、過度の飲酒による脳卒中説などがあります。また「新選組始末記」などによると、「祇園石段下と呼ばれるこの場所で、油小路事件で伊東甲子太郎を暗殺した大石鍬次郎の弟、大石造酒蔵が、同じ隊士の今井祐次郎に切り殺された」とされています。但し、この話は現在では事実ではないとする見方が有力です。
円山公園奥の真葛ガ原にある料亭「左阿彌」は、山根子(やまねこ)あるいは円山芸妓と呼ばれる芸妓が踊る「真葛(まくず)踊り」を目当てに新選組局長の近藤勇が行きつけだったと言われます。
豊臣秀吉正妻の北政所ねね隠棲の地として知られる高台寺の前の通りは石畳の道が整備され、「ねねの道」と呼ばれています。その通り沿いに高台寺塔頭の月真院があります。慶応3年(1867年) 3 月に伊東甲子太郎一派が新選組から離脱して「高台寺党」を結成しました。この頃の高台寺は 文久3年(1863 年)、松平春嶽(第12代将軍徳川家慶の従弟)の宿舎に予定されたことから討幕派の志士らにより放火されて焼失していたため、塔頭の月真院を屯所としたと言われます。
伊東甲子太郎は、藤堂平助の仲介で、新選組の参謀として入隊します。しかし、元々勤皇倒幕思想だった伊東は、孝明天皇の崩御に際し、藤堂ら14名とともに御陵衛士を結成し新選組から離脱しました。高台寺月真院を屯所としたため「高台寺党」と呼ばれることになります。
維新の道はまだまだ続きます!
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