【京都市右京区】太秦にひっそりと佇む古の社は、京のパワースポットなんですよ!
三条御池? 三条通も御池通も東西の通りのはずなのに! 実はあるんです。京の西の端、嵐電太秦天神川駅のところで二つの通りは合流します。
その三条御池の交差点を西に行って、京福電鉄嵐山線の「蚕ノ社(かいこのやしろ)」駅から北へ歩くと、木立に囲われた一画に、今はあまり人が訪れることもなく、ひっそりと静かに鎮座しているのが、通称・蚕の社と呼ばれる「木島坐天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」です。歴史ロマンあふれる古の社を散策してみました。
神社は、秦氏による広隆寺創建とともに勧請されたといわれています。本殿に向かって右側に、萬機姫(よろずはたひめ) を御祭神とする、俗に「蚕の社」と呼ばれる養蚕神社が、摂社として祀られています。「日本書紀」の雄略紀によれば「寵臣秦酒公は各種多数の村主を率いるようになり、租税として絹・カトリ(上質の絹)を朝庭に沢山積み上げた。天皇は庭先にうず高く積まれた絹の様子を見て、酒公に禹豆麻佐(うつまさ)という姓を賜った」とされています。
また一説によると、秦氏の起源は、かつての新羅、現在の韓国慶尚にあり、そこから「波旦(パタン)」と掘られた石碑が見つかっています。秦氏の「秦(はた)」は元々「波蛇、波多」と書かれていて、この「波旦(パタン)」が語源だと言うのです。そして秦一族の族長を「ウツ・マサ」と呼んでいました。これが後に「太秦」と当て字に改められたそというものです。さてどちらでしょうか?
本殿左側の一段低くなった所に、繁茂した樹木に囲まれて、「元糺の池」と呼ばれる神池があります。なぜ「元糺(もとただす)」なのかというと、木島神社の由緒書きによれば、嵯峨天皇の時代に潔斎の場をこの社の境内から下鴨神社に遷されたためだといいます。
上段の神池に、鳥居を3つ組み合わせた特異な形の鳥居が建っています。三柱鳥居(みはしらとりい)と呼ばれるもので、由緒書きでは全国唯一の鳥居とされています。鳥居の中心には、石で組まれた祭神の神座(かみくら)があって、宇宙の中心を表し、四方より拝することが出来るよう建立されているのだとか。創立年月は不詳。現存の鳥居は享保年間(260年前)に修復されたもので、それ以前は、木の三柱鳥居だったといわれます。
この鳥居には、さまざまな説が出されています。一説では、木島坐天照御魂神社は、太秦・秦氏の本拠地に建立されています。「三柱の鳥居」は清水を囲みながら、秦氏創建の伏見稲荷の稲荷山、同じく松尾大社の松尾山、秦氏一族の墳墓のある双ヶ丘の三つの山を秦氏の聖山として、三柱の延長がそれぞれの山に向かっているのだと言います。
いずれにせよ、蚕の社は、謎多き秦一族の遺産であるようです。平安京を呼び寄せたほどの豪族秦氏が何故歴史の表舞台から姿を消したのか? 親密だった藤原一族との関係性はどうなった? 古の謎を開きに訪れてみてください!