【京都市左京区】奈良の大極殿に負けない平安京を模した壮大なパビリオンが実はすでにありますよ!
京都の都としての始まりは当然、みなさんご存じですよね。受験で一生懸命年号を覚えませんでしたか。794年(鳴くようぐいす平安京)ですね。今から1220年以上前になります。壮大な歴史パビリオンというと、奈良にある平城京の大極殿などの復刻建造物を思い浮かべがちですが、京都にもすでにちゃんとあるんです。
左京区に平安京の政庁(政治を司ったところ)がそっくり実は今も残っています。ご存じですか。実は「平安神宮」がそうなんですね。でも建物は明治になって建てられたものです。明治になって首都が東京に移されてしばらくすると、公家衆や御用商人たちも一斉に東京に行ってしまって京都の経済が随分と冷え込んでしまったんですね。京都経済の活性化のためにと開かれたのが、明治28年の内国勧業博覧会でした。その目玉として平安京の出来上がった当時の朝廷の建物の一部が復元されました。
当時は京都市の郊外、聖護院かぶらの畑ばかりであった岡崎に実物の8分の5の規模で、大極殿、朝堂院などが復元されたんです。ちなみにその聖護院かぶらを漬け込んでスライスしたのが千枚漬けになります。博覧会の後は建物はそのままに、平安時代の最初の天皇・桓武天皇と平安京で過ごした最後の天皇・孝明天皇を祀る神社となりました。
ですから実は平安神宮は平安京を模したパビリオンなんですね。それでもデカイ、本当に迫力があります。修学旅行の生徒さんたちもこれには度肝を抜かれるようです。ここで記念撮影するだけでも値打ちがありますね。
さて、本物の平安京の大極殿はというと、千本通丸太町のあたりにありました。今は交差点に案内看板や千本商店街朱雀大路の街の看板などがあったり、小さな公園の中に石碑だけがひっそりと建っています。
そしてこの千本通りがかつての平安京の朱雀大路です。千本通りをずっと一条通からニ、三、四、五 …… と下がっていくと九条のあたりに羅城門といって、かつての平安京の南の端の門の跡地が、これもまた小さな公園に石碑だけが残されています。小説「羅生門」の舞台です。一条から九条まで昔の京はこの間にありました。少し東に行くと、平安京の始まりの時代とそっくりそのままの建物がもう一つ、こんどは京都市の南の端に残っています。それが『東寺』です。東寺の案内はまた今度。
感染症対策をしっかりとして散策してみてください!
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