【京都市上京区】応仁の乱始まりの古社で最古の御霊会といわれる還幸祭が牛車も登場して厳かに。 神輿渡御が圧巻!

平安遷都の際に早良親王らの御神霊を鎮めるために桓武天皇によって創建されたと伝わる上御霊神社で、2025年5月18日に還幸祭が催行されました。祭礼として最古の御霊会を今に伝えているとされています。前日の夕刻からは、宵宮が行われ、境内と参道を埋め尽くした露店が大勢の人で溢れました。御霊太鼓の会による奉納太鼓なども披露されました。

上御霊神社還幸祭

その御霊太鼓の会による若々しい女太鼓で始まった上御霊神社の還幸祭の巡行には、可愛い稚児行列に続いて、花笠、龍鉾や蓬莱御鉾、鷹羽御鉾と続き、牛車を伴う御所車、獅子舞も登場して、さらには馬にまたがった宮司らが3基の神輿とともに、氏子地域を練り歩きました。

上御霊神社還幸祭

葵祭や時代まつりにも見劣りしないぐらいの厳かで華やかな巡行ですが、「ホイット―、ホイット―」「ヨット―」とたくさんの人たちによって担がれる3基の神輿の迫力が圧巻です。この神輿は、江戸時代に後水尾天皇から贈られた鳳輦(ほうれん・屋根の上に金色の鳳凰の飾りをつけた輿。行幸に天皇が乗ったとされる)を神輿に改め、現在も使われています。

上御霊神社還幸祭

京都の夏祭りの多くは御霊会ですが、最初に早良親王を祀ったとされる上御霊神社の祭礼はその発祥と言われます。以後井上内親王や他戸親王、橘逸勢や吉備真備を始めとする十二柱の神霊がまつられ現在に至っています。京都の市中の人々はもとより皇室や時の施政者からも「産土神」「上御霊さん」と親しまれ、崇敬を受けてきました。

上御霊神社還幸祭

さて、この上御霊神社の森に応仁元年(1467年)1月17日、京都の自邸に火を放ち、畠山政長が兵約二千を率いてここに布陣し、立てこもったところから、応仁の乱が始まったとされています。上御霊神社では、令和7年(2026年)秋に、境内整備事業の第一弾として昭和50年代に涸れてしまった手水舎の井戸の再掘を目指して計画を進めておられます。

※子供を含む人物は神社、関係者、親御さん含めてすべて撮影掲載許可頂いております。

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