【京都市上京区】秀吉に茶を出さず白湯を出したのは何故? 国宝級の本尊に楽初代の陶製像 静かに佇む小さな寺が実は凄かった!
2022年の1月12日、千本今出川に佇む「浄土院」を訪れました。浄土院との扁額の前には「湯だくさん 茶くれん寺」と書かれた石柱が立っています。この寺には秀吉にまつわるユニークなエピソードが伝わっています。
京の都へ上洛し、天下をほぼ手中に収めた豊臣秀吉は、九州平定と聚楽第の竣工を祝って、天正15年(1587年)10月1日、北野天満宮にて大茶会「北野大茶湯(きたのだいさのえ)」を催しました。
当時は今の10倍の寺領を有していたという浄土院に、この北野大茶会への道中に休憩のため立ち寄ったのが秀吉でした。突然の天下人の来訪に庵主の尼は大慌て、しかも「茶を所望する」というではありませんか。その相手は、千利休を茶頭とするような太閤秀吉なのです。
庵主は一杯目は茶を出したものの、二杯目の所望に対し「自分の未熟なお茶をこれ以上出し続けることはできない」と境内の井戸より湧き出る香しい銀水を沸かした白湯を出したのでした。三杯目も白湯が続くのに対し、怒るかと思いきや秀吉は大笑いし、「お茶を頼んでいるのに白湯ばかり、この寺は湯だくさん茶くれん寺と名乗るがよい」と言って立ち去ったと伝承されています。(浄土院に口伝の逸話)
明治期に一定のリフォームはされているものの、当時と同じ場所に古い柱とともに茶室が残されています。かつて銀水が湧いていたという井戸も。さらにこの寺のご本尊の阿弥陀如来坐像は平安時代後期に造られた木彫漆箔像で、昭和17年(1942)には国宝に指定されましたが、昭和25年(1950)以降は重要文化財となっています。研究途中でおそらく国宝級といわれる小さな阿弥陀三尊像も有しています。
また本堂の屋根には、安土桃山時代に、千利休がお茶の道具などの職人を選した千家十職の一つ、楽焼の初代長次郎の作と伝わる陶製の巻物を持った寒山像、ほうきに乗った拾得像があります。
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