【京都市上京区】魅力的な建築物や遺構がいっぱいの京都御所周辺を烏丸丸太町から上ってみました!
京都御所周辺。とりわけ烏丸丸太町を上がると、魅力的な建築物や逸話の尽きない史跡などがギュッと短い間に詰まった感があります。一気にやってきた冬将軍の間でも、少し穏やかな気候となった2022年12月9日に、散策してみました。
交差点から少し上がった西側に、イギリスで見かけるようなチューダースタイルの洋館がありました。大丸ヴィラというそうで、1932(昭和7)年に大丸社主の下村正太郎邸として建てられたものです。現在は京都市登録有形文化財になっています。
京都御苑西南の椹木口(さわらぎぐち)あたりには、織田信長が室町幕府15代将軍足利義昭のために建造したとされる旧二条城の石垣が復元されています。義昭の二条御所建設には、「……築用の石が欠乏していたので、彼は多数の石像を倒し、頭に縄をつけて工事場に引かしめた。……少なくとも二・三年はかかると思われたものを、彼はほとんど七十日間で完成した……」というから驚きです。(完訳・フロイス日本史 中公文庫)
では、その旧二条城はどこにあったか、永禄の変で焼失した室餅幕府十三代将軍足利義輝の宮殿跡地に建てられました。現在の平安女学院です。その宮殿について、ルイス・フロイスは、「・・・厩はいとも上等な材木で造られ、上等な敷物が置かれていて、身分の高い諸侯をそこへ通すこともできるほどであった。・・・」と記しています。
風情ある平安女学院聖アグネス教会をさらに上がって行くと、西側に護王神社がありました。可愛いイノシシが狛犬となっています。来年は兎年なので、すでに境内には兎の絵馬が掲げられていました。和気清麻呂ゆかりのこのイノシシ神社、話は尽きませんがまたの機会に。
さらに上ると御所の蛤御門があります。1864年に政変により京都から追放されていた長州藩勢力が、会津藩主で京都守護職の松平容保らの排除を目指して挙兵し、京都市中において市街戦を繰り広げた蛤御門の変の舞台ですね。この時に発生した大火(どんど焼)により約3万戸が焼失したと言われます。ぜひのんびりと散策してみてください!