【京都市北区】京都三大奇祭「やすらい祭」発祥の玄武の社に祀られる不運の皇子惟喬(これたか)親王とは?

ようやく春らしい気候となった2025年4月9日の夜間に玄武神社を訪問すると、今年も4月13日に開催される「玄武やすらい祭」の踊りの練習に、地域の子どもたち30人超が集まっていました。それぞれ、笛方、太鼓方、鐘方、小鬼に分かれて、囃子方の掛け声に合わせ、赤毛や黒毛の鬼に扮した子どもたちが力強く踊ったり、演奏したりしていました。

玄武やすらい祭

掛け声は、「やすらい花や、たけなえこなえ、夫婦(みょうと)の二千夜、富草の花ややどるまなも……、いさぎよく踊れ、調子よく治め」と続きます。5年以上に亘って参加しているという中学校3年生のダイキさんとダイドウさんは、「この地域でないとこんな貴重な経験できないので楽しい」、「みんなで合わせるのが難しいかな」と話してくださいました。

玄武やすらい祭

このお祭りは、奈良県桜井市の大神神社(おおみわじんじゃ)の御分霊を勧請した三輪明神のお祭りとされているそうです。実は、鞍馬の火祭や太秦の牛祭とともに京都の三代奇祭とも称される「やすらい祭」は、川上大神宮や光念寺、今宮神社、時期をずらして上賀茂神社、そして、この玄武神社に引き継がれていますが、椙本貴子宮司によると、正式な古文書などからこの「玄武やすらい祭」が発祥なのだそうです。

玄武やすらい祭

玄武神社の御祭神は、第五十五代文徳天皇の第一皇子、惟喬(これたか)親王です。生母は更衣で竹内宿禰(たけうちのすくね)の末裔である刑部卿紀朝臣名虎の娘の紀静子。親王は第一皇子であり、皇太子になると思われていましたが、嘉祥3年3月(850年)当時、最も権威を誇っていた藤原良房の娘で、女御である藤原明子が第四皇子の惟仁(これひと)親王を生んだため、文徳天皇は良房をはばかり、生後僅か九ヶ月の同親王を皇太子としました。

玄武やすらい祭

玄武神社提供

惟喬親王は第一皇子として生まれながらも、悲運の生涯を歩むこととなりました。山崎水無瀬に閑居して詩歌吟詠などを以て過ごしたといいます。昔の人々は、疫神や特に中央政権で政治的に失脚し亡くなった人の霊などを災いと結びつけ、「御霊」(ごりょう)と恐れました。疫病や厄災が起こると、原因である御霊を鎮めるために祭礼が行われたのです。

玄武やすらい祭は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

玄武神社はこちら↓

号外NETの広告出稿はこちら

号外NETメルマガ

号外netは持続可能な開発目標(SDGs)を支援します

号外netへの提供提供求む!