【京都市右京区】大雪の渡月橋 平家物語にも描かれた中宮の悲恋物語を伝える琴きき橋跡の碑!
寒波襲来から一夜明けた2023年1月26日の早朝、嵐山・嵯峨野の風景を求めて出かけました。嵐山駅を降り立って大堰川から渡月橋を見ると背景の嵐山連峰に残雪が残り、中之島公園の雪の輝きに照らされて素敵な景色が広がっていました。
櫟谷宗像神社も雪化粧。現在は、二社同殿で御鎮座されている御祭神は、櫟谷神社が奥津島姫命、宗像神社が市杵島姫命になっています。天智天皇の七年(668年)筑紫の宗像から勧請されたものと伝えられている由緒ある神社です。両社とも大堰川(桂川)の水運の安全を祈って祀られたものと言われています。
渡月橋を渡ると「琴きき橋跡」と刻まれた石碑があります。この「琴きき橋」には、平家物語の描かれた悲恋の物語が伝えられています。ヒロインは小督局(こごうのつぼね)です。小督の局は平安末期の「平治の乱」で討たれたた藤原通憲(信西)の孫にあたります。類稀な美貌のうえに、箏(そう:琴に似た楽器で奈良時代に唐より伝わり雅楽の中で用いられた)の名手であったと伝えられています。
小督の局は、時の帝であった高倉天皇に見初められ寵姫となります。しかし、その高倉天皇の中宮(皇后)は平清盛の三女、建礼門院徳子でした。清盛からみれば、三女徳子の婿は、将来、天皇の座に自分の孫をと嫁がせた帝でした。小督の局はそっと高倉天皇の下を去っていきます。高倉天皇は、小督がいなくなったことを深く悲しみ、源仲国に小督を捜すように命じます。
仲国は陰暦の十五夜に、名月の夜なら箏を弾いているにちがいないと思い、千代古道をたどり嵯峨野辺りを訪ね馬を走らせ、箏の音を頼りに、ついに小督を発見し、宮中に連れ帰ります。しかし、その後、清盛の逆鱗に触れた小督の局は高倉天皇の皇女を出産した後、清水寺の奥、清閑寺にて出家させられてしまいました。
雪の嵐山散歩はまだまだ続きます!