【京都市伏見区】定番ですが、初詣は、外国人観光客人気NO.1、鳥居とお狐さんがいっぱいの伏見稲荷大社へ!
2023初詣どこ行こ! みなさん、京都にいらっしゃる外国人観光客に一番人気のあるスポットをご存知でしょうか? 実は金閣寺や銀閣寺よりも清水寺よりも人気なのが伏見稲荷大社なんです。東山三十六峰の最南端、稲荷山に鎮座するのが、伏見稲荷大社です。全国四万社近い稲荷社の総本宮で、なんと、歴史は711年といいますから、奈良時代の始めです。渡来人の秦氏の一族が稲荷山に奉った神が始まりと伝わります。2022年12月30日に訪れました。
主に京都の人たちに「病弘法、欲稲荷」などと言われます。病気平癒の祈願なら東寺へ、金儲けのことならお稲荷さんに祈願しなさいという意味です。実はこれには訳があります。伏見稲荷の語源は稲が成る(稲成)から来ていて、稲荷の五つの祭神は、元々は五穀豊穣を願う農耕の神さまですね。今でも田植え神事などが引き継がれているのですが、後に米が商取り引きの中心となって、石高で流通価値を表すようになっていった経過から、商売繁盛の神としても崇められていくようになったんですね。
JR稲荷駅から続くのが表参道、京阪電車伏見稲荷駅から続くのが裏参道なのですが、駅の柱などはどちらも稲荷色に彩られています。これ実は、「稲荷塗」といわれるあの鳥居の朱色なのです。朱(あか)は魔よけの炎と同じ色です。
表参道に面して厳然として建つ朱塗りの楼門は、桧皮葺で屋根の軒反りが大きくて、威風堂々の感がありますね。これもまた、豊臣秀吉により寄進されたものなんです。この立派な楼門にも逸話が残されています。天正16年(1588)、戦国の騒乱を終え、派手やかな夢幻の桃山時代となっていました。秀吉の実の母、なかさん、当時は大政所(おおまんどころ)と祭り上げられていましたが、もう臨終間近となっていました。秀吉は、この伏見稲荷大社をはじめ、京中の寺社仏閣に「かかさま」の大病平癒を祈願します。
母の命を三年、だめなら二年、いや、どうしてもだめなら三十日でも救ってくれというんですね。もし願いを成就してくれたら、1万石を寄進すると。伏見稲荷大社に残る「命乞いの願文」です。「なおなお命の儀は三カ年、しからずば二年、実にならずば三十日にてもたのみ思召され候」と。ただ結果は五千石に値切ったそうで、秀吉らしい逸話と言えるかも知れません。翌年、秀吉の寄進を基に建立されたのが、朱塗りの色も鮮やかなこの楼門です。 昭和49年の解体修理の際には、垂木に同年号の墨書銘が発見されて、秀吉の出した書状の正しさが証明され ることともなりました。
楼門の両脇に宝珠と倉の鍵を持つ、眷属(けんぞく・神の使い)としてのきつねがいます。同じ姿は境内のあちこちで見られますね。さて、摂社群を横目に、本殿修復の折などの神様の一時的お住まいの権殿を過ぎると、ここから最も人気のパワースポットでもある「千本鳥居」が始まります。よく修学旅行でお見えになった生徒さんたちが「ほんとに千本あるの」と数え始められます。
千本とは八百万などと同じで、昔から無限のごとく多いという意味で使われます。実際には数多の人たちから寄進された五千本、全山では二万本とも言われている鳥居が今もその数を増やし続けているんです。では、なぜ鳥居を奉納するのか? 鳥居を潜ることで「願いが通る」との語呂あわせなんだそうです。奥社には「おもかる石」と云われる一種の神占石があります。これも参拝の方に人気です。この灯篭の前で願い事の叶うことを念じて石灯篭の空輪(頭)を持ち上げ、そのときに感じる重さが、自分が予想していたよりも軽ければ願い事が叶い、重ければ叶い難いという試し石です。挑戦してみてください。
奥の院から本殿へ降りてきたら、おみくじを引きましょう。「どこにでもあるし」と思っていませんか。伏見稲荷のおみくじは奥が深いんです。おみくじのといえば,「大吉,中吉,小吉,吉,末吉,凶,小凶,大凶」あたりが一般的、あと「半吉、末小吉、半凶、末凶」といったところでしょうか。ところが,伏見稲荷のおみくじはそれとは違ってかなりレア物と言えそうです。「大大吉」をはじめ、「吉凶相交末吉」「凶後吉」など、「ええんか悪いんかどっちやねん」と思わず突っ込みを入れたくなります。
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