【京都市左京区】声明で滝の音が消えた? 大原の里 伝説の音無の滝まで行ってきました。「呂律が回らない」の語源はここにありました!
大原の里は、古くは「おはら」と読まれ、小原とも表記されました。かつては山城国愛宕(おたぎ)郡に属し、南隣の八瀬とセットで「八瀬大原」とも称されました。延暦寺に近かったことから、勝林院・来迎院・三千院・寂光院など多くの天台宗系寺院が建立されました。2022年4月11日、遅咲きの桜を求めてその大原の地を訪れました。
国道367号線の寂光院と三千院の分岐点から参道の登り口に、魚山の石碑があります。三千院の周辺一帯を魚山とも称します。魚山とは、もともと中国山東省の山。三国志の三国の一、魏の国の王・曹植がこの山で妙なる音楽を聴き、梵唄(ぼんばい)を大成したといわれています。ぼんばいとは声明のこと。声明は、お経に独特の節をつけて合唱する仏教音楽です。
遣唐使として唐に渡った比叡山の僧・円仁(後に三代目天台座主ともなる高僧)がこの声明を日本に持ちかえり、大原の里で盛んに修行が行われるようになったことに由来しています。この音律がやがて、浄瑠璃、民謡、歌舞伎などに引き継がれていくことになります。
大原三千院を挟んで涼やかに流れる二つの川は呂川(ろせん)と律川(りっせん)といいます。 下から上がっていくと、三千院の手前が「呂川」、三千院を右に見ながら、さらに進むと「律川」があります。
舌が滑らかに動かないために話しにくく、言葉が不明瞭になることを「呂律が回らない」と言いますよね。呂と律は、音階、あるいはわかりやすく言うと曲調のことで、同じお経でも、西洋音楽で例えると長調に近い呂調で唱えるか、それとも短調に近い律調で節を回すかで、まったく異なる音楽となるんです。声明の音階を 上手に取れない修行者の様子を 「呂律が回らない」といったんですね。
この日は頑張って来迎院のさらに奥、律川の上流にある滝、音無の滝まで足を延ばしました。平安時代後期の天台宗の僧で、来迎院を創建し、大原声明を完成させた融通念仏宗の開祖でもある聖応大師が滝音をも凌ぐ声明でその音を止めたという伝説があり、滝の名もこれに由来しています。
大原へお越しの際はぜひ足を延ばしてみてください、頑張った先には良いことがあるんだと感じられるかも!