【京都市上京区】京都御苑周辺の公家たちの邸宅跡で3月23日、春を告げる桜の花々が咲き誇っています!
一気に暖かくなってきましたね。京都では、2022年3月24日にも「そめいよしの」の開花が予想されていますが、23日には例年先駆けて春を告げる冷泉家の桜が見ごろとなって、今年も今出川通りの白壁にたわわな姿を見せてくれています。
冷泉家の先祖は「小倉百人一首」の選者である藤原定家で、代々世襲される和歌の家。明治期の東京奠都の際、ほとんどの公家衆が明治天皇に従い東京に移住しましたが、上冷泉家は御留守居役として京都に留まりました。現在の京都御苑内にあった公家町の公家屋敷は明治初期の東京移住命令により全て取り壊されましたが、今出川以北にあった上冷泉家の屋敷は取り壊しを免れました。
その結果、上冷泉家は、鎌倉時代に始まる約800年の歴史を受け継ぎながら、公益財団法人冷泉家時雨亭文庫として、藤原定家筆「古今和歌集」(国宝)始め、鎌倉初期から伝わる古典籍や古文書、年中行事にまつわる道具類などの公家文化の資料を現代に伝えています。京都御所内では、その取り壊された五摂家の一つ、近衛邸跡のしだれざくら、通称糸桜が花を咲かせていました。
奈良時代に南家・北家・式家・京家の四家に分かれて隆盛を誇った藤原一族も、長岡京建設途中での式家の藤原種継の暗殺や平安遷都を契機に、平安時代には北家が皇室と姻戚関係を結んで摂関政治を行うようになり大きく台頭します。その流れが「近衛」「鷹司」「九条」「二条」「一条」家へと別れていくことになります。
近衛家は、五摂家筆頭として、戦国時代から、安土桃山時代、江戸時代にかけて、武家政権にありながら政治の中枢で暗躍したとも言われています。昭和の初めには、3度にわたって総理大臣を務めた近衛文麿を輩出したことでも知られます。
そんな歴史の舞台となった夢の跡地で咲く花たちは何を物語ってくれるのでしょうか? いつでも自由に散策出来ますので、春の陽気に誘われて出かけてみてください!