【京都市左京区】銀閣寺には日本家屋の元祖の書斎があります! 銀閣に銀箔を貼っていないのは何故だろう? 

 通称・銀閣寺は金閣寺とともに京都五山の一つ、相国寺の山外塔頭(たっちゅう)のひとつで、正式には慈照寺といい、山号を東山(トウザン)といいます。参道を登りきると世界遺産にしては意外と質素にも思える総門に突きあたります。時代は、応仁の乱から戦国時代へ。その頃、八代将軍の足利義政によって通称『銀閣』、東山山荘が建立されました。義政の没後、遺言により東山慈照寺としたものです。 義政の諡号(戒名)が慈照院といった事実に由来します。

銀閣寺

 総門をくぐり右に折れると、高い垣に囲まれた長さ約50メートルの参道があります。石垣の上に竹垣が組まれ、切りそろえられた高い生け垣は椿、カシによるもの。これが銀閣寺垣です。応仁の乱の最中でもあり、本来は防御をかねた外界との区切りとして設けられたと言われて います。

銀閣寺
 門を過ぎてすぐ錦鏡池の汀にひっそりと佇む「銀閣」が見えてきます。観音菩薩を祀っているため、正式名称は「観音殿」といいます。銀閣寺の俗称のとおり、慈照寺の象徴というべきもの がこの観音殿(国宝)です。

銀閣寺

 銀閣と呼ばれるだけあって、建物には銀箔が貼られているかと思いきや、実は漆塗りの建物なんですね。銀箔が貼られていない理由に関しては、「銀箔を貼る予定だったのが義政が途中で亡くなってしまった」「財政上の理由で銀箔を貼る事 ができなかった」「外壁の漆が光の反射で銀色に見える」「義政は茶道を趣味とし禅宗文化に帰依したわびさび人で創建当初から銀箔を貼る計画はしていなかった」など諸説ありますが真相は分かっていません。2007年1月に行われた科学的な調査でも銀箔は検出されなかったと発表されました。

銀閣寺

 方丈(ほうじょう)(本堂)は江戸中期の建造。ご本尊として釈迦牟尼仏が安置され、正面の額には「東山水上行(とうざんすいじょうこう)」を掲げ、内部には江戸期の南宋画家の巨匠、与謝蕪村(よさぶそん)、池大雅(いけのたいが)の襖絵が所蔵されています。足利義政と正室日野富子の位牌も安置されています。方丈とは、禅寺で、住職の居室。また、住職そのものことです。

銀閣寺
 方丈と東求堂の間は短い渡り廊下でつながれ、間には銀閣寺型の手水鉢があります。この紋様はなんでしょう。そう、お坊さんの袈裟(けさ)文様をしています。

銀閣寺
 国宝・東求堂(とうぐうどう)は、観音殿(銀閣)とともに、東山殿造営当時の遺構として現存しています。檜皮葺きで、近世書院造の現存する最古の遺構です。本来は持仏堂、すなわち阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂でした。内部を四畳、四畳半、六畳の小部屋に仕切ってあって、現在の日本風家屋の原型といわ れています。特に東求堂内の四畳半書院・同仁斎(どうじんさい)は、付書院と違い棚があり、現存するものでは最古の座敷飾りであり、四畳半の間取りの始まりといわれています。   

2022/01/31 06:00 2022/01/31 14:16
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